ボンジュール!
今回は「フランス語で本を読もう」の第5回目。
「フランス語で本を読もう」シリーズでは、ぼくが読んだ、あるいはこれから読む予定のフランス語の本をみなさんに紹介します。
ここでフランス語の本というのは、原書であれ翻訳であれ、フランス語で書かれた本のこと。ですので、カミュの『異邦人』も紫式部の『源氏物語』のフランス語訳もフランス語の本にカウントします。
ちなみに、このシリーズでは基本的にフランス語の本にまつわる個人的な意見や感想をしゃべるだけです。解題やレクチャーみたいなことはしません(できません)。
駄弁が功を奏して、読者のみなさんとフランス語書籍とのささやかな出会いの場になれば幸いです。
それでは、本題。
さて、今回紹介するのは、ベルギー人のフランス語作家アメリー・ノトン(Amélie Nothomb)のベストセラー小説『畏れ慄いて』(Stupeur et tremblements)(1999年刊)です。

アメリー・ノトンは前回にひき続き2回目の登場。前回の記事では、Cosmétique de l’ennemiという小説を紹介しました。
しかしアメリー・ノトンといえば、むしろ『畏れ慄いて』(Stupeur et tremblements)の方が有名ですし、こっちの小説は日本を舞台にしてもいるし、翻訳も出ているし、フランス語もあまり難しくないし、、、と、紹介しない理由はないのでこの機会に紹介してしまいます。
前にも言いましたが、アメリー・ノトンは子供時代の一時期を日本で過ごし、大人になってからも日本の会社で一年ほど働いています。小説『畏れ慄いて』はその経験をもとにして書かれた半自伝的な小説で、日本企業に勤める外国人の目にうつる日本の会社の奇妙さをユーモアたっぷりに描いた作品です。
たとえば、物語の出だしはこんな感じです。フランス語はそれほど難しくありません。
Monsieur Haneda était le supérieur de monsieur Omochi, qui était le supérieur de monsieur Saito, qui était le supérieur de mademoiselle Mori, qui était ma supérieure. Et moi, je n’étais la supérieure de personne.
ハネダさんはオモチさんの上司で、オモチさんはサイトウさんの上司で、サイトウさんはモリさんの上司で、モリさんは私の上司だった。私は誰の上司でもなかった。
Amélie Nothomb, Stupeur et tremblements (1999)
アメリー・ノトンは毒のあるユーモアが持ち味の作家なので、彼女の描く日本社会の不条理さはあるいは日本人読者の癇に障ることがあるかもしれません。実際、ネットで調べたかぎり、日本人読者からは「誇張しすぎだ」という批判があったようですね。この小説は2003年に映画化もされていますが、日本を舞台にしたものにも関わらず、日本での一般公開には至っていません。
ぼくはアメリー・ノトンのユーモアのセンスは大好きなのですが、唯一残念だった点は、彼女の日本理解がちょっと不十分なんじゃないかなという箇所がちらほら見受けられたことです。だいぶ前に読んだ小説なので詳しくは忘れましたが、線を引いているところがあったので以下に紹介します。

日本人にTsutomeruという名前の子供はいないんじゃないでしょうか? “travailler”という意味の名前だとしたら、「つとむ」じゃないかと…
そして、極めつけはこちら。

sandwich futon-mayonnaise(ふとんマヨネーズ・サンド)って何w?ツナマヨ・サンドのことですかね?
アメリー・ノトン本人は日本語を完全にマスターしていると言っていますが、これじゃあちょっとマスターしていると言えるのかな?あるいは、これらの一見初歩的なミスに見えるパッセージには、僕の見落としている隠れた意味があるのでしょうか?(ご存知の方はコメント欄で教えてください)
いずれにせよ、この小説は短くて読みやすいし、舞台が日本ということもあるので、フランス語で何か本を読みたいなと思っている人にはおすすめの一冊です。日本文化至上主義の人にはおすすめできませんがw
それでは、また。
À bientôt !
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